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横浜地方裁判所 昭和57年(ワ)1757号 判決 1988年6月17日

原告 新藤泰弘

右訴訟代理人弁護士 加藤隆司

被告 藤沢市

右代表者市長 葉山峻

右訴訟代理人弁護士 川端和治

被告 藤沢市獺郷土地改良区

右代表者理事 太田多一

右訴訟代理人弁護士 増本一彦

同 増本敏子

被告 株式会社 桜井土建

右代表者代表取締役 桜井峰男

右訴訟代理人弁護士 吉川晋平

右訴訟復代理人弁護士 立川正雄

主文

1  被告藤沢市は、原告に対し、金二五〇万円及び内金二二〇万円に対する昭和五七年七月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、被告藤沢市獺郷土地改良区は、原告に対し、金一九〇万円及び内金一七〇万円に対する昭和五七年七月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、各自支払え。

2  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、原告と被告藤沢市及び同藤沢市獺郷土地改良区との間においては、原告に生じた費用の一〇分の一を右被告両名の連帯負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告株式会社桜井土建との間においては全部を原告の負担とする。

4  この判決は、原告の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。但し、被告藤沢市は金八〇万円の担保を供し、同藤沢市獺郷土地改良区は金六〇万円の担保を供し、それぞれ右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告三名は、原告に対し、各自金二八一〇万円及び内金二五五〇万円に対する昭和五七年七月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告三名の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告三名の答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の地位

原告は、昭和四九年一二月二二日、訴外本田合名会社から、同会社所有の別紙物件目録記載(一)の宅地及び同目録記載(二)の新築された居宅(以下「本件土地・建物」という)を買受け、爾来、同所で家族とともに居住した。

2  本件工事

(一) 獺郷(おそごう)地区土地改良総合整備事業(昭和五四年度団体営土地改良事業)は、昭和五四年六月頃から昭和五五年四月頃までの間に、神奈川県藤沢市獺郷地区内の対象地域六八六二平方メートルについて、用排水路の整備、区画整理、農道の整備、農用地造成、並びに、客土等による土壌改良を実施したものである。神奈川県知事は、昭和五五年八月二六日、右事業について、土地改良法五条六項に基づく承認をした。

(二) 獺郷地区土地改良総合整備事業の一環として、昭和五四年六月頃から昭和五五年四月頃までの間に、本件土地の西側に接する公共用排水路について、水路を深く掘下げ、コンクリート製組立大型排水溝を設置する改修工事(以下「本件排水路改修工事」という)が、上流から下流に向けて順次行われた。

3  本件工事の影響

(一) 本件排水路改修工事の影響により、昭和五五年三月頃まで三か月の短期間内に、本件建物が約一〇センチメートル沈下し、台所及び洗面所の壁に亀裂が発生し、風呂場の床が二か所にわたって浮き上がり、雨戸やガラス戸の開閉が困難になり、本件建物は、居宅としての効用を喪失してしまった。

(二) 本件建物の損傷のメカニズムは、本件排水路改修工事の影響により、本件土地及びその周囲の土地の地下水位が低下し、この地下水位の低下によって軟弱な腐蝕土層の地盤に沈下を起こして不同沈下が招来され、本件建物が損傷するに至ったものである。

(三) 獺郷地区土地改良総合整備事業の一環として、本件土地の周囲一帯で旧水田の客土工事(以下「本件客土工事」という)が施工された。右工事のために、本件土地の周囲一帯の軟弱な泥炭地盤上を、ダンプカーが土砂を満載して走り、ブルドーザーが地ならし作業を行うなど、連日のように数十台の建設車両が走り回り、これらの振動は著しいものであった。建設車両の作業走行に伴う振動も、本件建物の壁にひびわれを生じさせた一因を成したものである。

4  証明責任の転換

本件排水路改修工事については、工事の性質上、他人に損害を与える危険性が少なくないこと、損害防止の設備方法に瑕疵があるのでなければ他人に損害を与える危険性が稀であること、工事の瑕疵その他の故意過失は加害者のみが確知できるものであること、工事の瑕疵その他の故意過失の証明は被害者にとって甚だ困難であることなどの諸事情が存するから、かかる場合にまで故意過失の証明の危険負担を被害者に負わせることは、著しく公平の観念に背馳するものというべきである。

5  被告藤沢市の責任原因

(一) 被告藤沢市は、本件排水路改修工事について、被告株式会社桜井土建(以下「桜井土建」という)と請負契約を締結した注文者である。

(二) 本件排水路改修工事に伴い、本件土地に接近した排水路の堀削工事を漫然と施工すると、工事に起因する地層の収縮及び地盤低下を本件土地に惹起することは、当然予見可能なことであった。被告藤沢市の担当職員は、本件排水路改修工事の施工が本件土地家屋に甚大な影響のあることを懸念していた。本件工事により地盤沈下が必ず生じ、原告に損害を及ぼすことが判明したならば、その工事は中止すべきである。……せめて、防止方法を講じて、本件建物の不同沈下だけでも未然に防ぎ、被害を最小限度に止めるべきであった。

(三) 本件排水路改修工事の影響により本件建物が傾斜しないように防止する方法は、地下補強方法(アンダーピニング)などがあり、現在の土木工学技術上可能である。被告藤沢市の担当職員は、工事施工者として、本件建物の沈下が起こらないように考究し、その防止方法を講ずべきであった。被告藤沢市の担当職員には、本件建物の不同沈下について効果的な防止方法を講じないまま、工事を施工させたことに過失があり、被告藤沢市には、本件排水路改修工事の注文者として、注文及び指図について被害防止措置の指示を怠った過失がある。

(四) したがって、被告藤沢市には、前記の過失に基づく不法行為責任があり、被告に対し後記損害額を自ら賠償すべき義務がある。

6  被告株式会社桜井土建の責任原因

(一) 被告桜井土建は、本件排水路改修工事について、被告藤沢市と請負契約を締結した土木工事業者である。

(二) 被告桜井土建は、本件排水路改修工事を行うについて、注文主たる被告藤沢市の計画設計に基づき、その指揮監督を受けていたものの、本件土地周辺が軟弱な地質であり、右の計画設計のまま工事を実施すれば、地下水位の低下を来し、本件建物に傾斜・倒壊の危険を及ぼすおそれがあると予見できた。

(三) 被告桜井土建は、土木工事の専門業者として、本件排水路改修工事を行う前に予備調査及び本調査を行って本件建物の敷地の状況及び地盤の条件を調査し、工事に際して、(1)掘削面の崩壊あるいは土質の過大な変形を確実に防止すべく、ジョイントが完全なシートパイル(矢板)等の完全な山止めを施す、(2)水ガラス、セメントペイスト・ペントナイト、フライアッシュセメントモルタル等を土中に注入して土質を改善するなど、予め地盤の支持力を増大し、沈下の抑制に有効な地盤の改良工事を行う、又は、(3)本件建物に対する工事の影響を未然に防止するべく、予め本件建物の下に支持杭を打設して地盤沈下に備えるといった措置を施すべきであったにもかかわらず、本件排水路改修工事の施工について安全性の確認を怠ったため、噛みあわせの不完全なシートパイル(矢板)の間隙から粘土質のヘドロが流出し、あるいはシートパイル(矢板)の埋め込みが短かったために下部地盤が回り込んで、地盤の沈下を来した。

(四) 被告桜井土建には、右の施工管理の過失があるから、工事続行の影響を受けて本件建物に発生した損害について、被告に対し後記損害額を自ら賠償すべき責任がある。

7  被告藤沢市獺郷土地改良区の責任原因

(一) 被告藤沢市獺郷土地改良区(以下「被告改良区」という)は、前記の獺郷地区土地改良総合整備事業(昭和五四年度団体営土地改良事業)の施工を目的として、所轄知事である神奈川県知事の認可を受けて設立された公法人である。

(二) 被告改良区の代表者理事長太田多一は、昭和五四年一二月一六日、原告に対し、本件工事によって被害が生じた場合には誠意をもって復旧し、賠償の責任を負うべき旨を確約し、昭和五五年一月二〇日、その旨を記載した念書を差入れた。被告改良区の代表者理事長太田多一と原告は、昭和五六年六月二〇日、本件建物の修復方法について、屋根と柱のみを残して他の部分を取り壊し、基礎工事を完全にしたうえ、本件建物を原状回復する旨を合意した。しかるに、本件建物の修復は不完全なものである。

(三) したがって、被告改良区には、原告に対し、前記7(二)の合意に基づく債務の不履行によって発生した損害について、後記損害額を自ら賠償すべき責任がある。

8  損害額

(一) 積極損害

本件建物が喪失した居宅としての機能を回復させるには、不同沈下した本件建物の基盤に恒久的な修復を加え、傾斜の補正、一階の床の解体復元作業、建具・壁紙・床板の補修等、その他の改修工事が必要である。

基盤が不同沈下した本件建物に恒久的な修復を加えるには、本件建物の布基礎の周囲に、泥炭層を貫通して信頼しうる支持層に届く鋼管杭を、グルンドマート工法で打ち込んだうえ、これをエイチ型鋼材で連結し、ジャッキアップして傾斜を水平に補正した本件建物を支持させる工事が必要である。

鋼管杭を地中に打ち込んでエイチ型鋼材で連結する工事に約四五〇万円の費用が必要であり、ジャッキアップによる本件建物の傾斜の補正、一階の床の解体復元作業、建具・壁紙・床板の補修等を含め、本件建物の改修工事に一一五〇万円の費用が必要である。

(二) 慰藉料

(1) 原告は、昭和五四年六月頃から、獺郷地区土地改良総合整備事業の工事に伴う振動、騒音、塵、ほこりに悩まされたばかりか、本件排水路改修工事が進行するにつれて本件建物が次第に西側の水路の方に傾き、夜間にもひび割れするような音響を発して不安に悩まされ、睡眠も十分にとれない不安な生活が続いた。

(2) 原告は、本件建物が居宅としての効用を喪失し、居住不能になったために、昭和五六年七月から藤沢市打戻字中二五八〇番地の手狭な仮住居に転居するを余儀なくされ、爾来、日常の品物の出し入れ、来客の接待などに不自由し、日常生活に著しい不便を受けた。

(3) 原告は、右(1)、(2)の事由のために肉体的、精神的に著しい苦痛を蒙った。この苦痛に対する慰藉料は金九五〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用

原告は、本件訴訟の追行を原告訴訟代理人に委任した。これに要する弁護士費用は金二六〇万円である。

9  原告は、被告改良区に対し、昭和五七年七月一四日到達の本件訴状をもって、前記損害金の支払を催告した。

10  よって、原告は、被告藤沢市及び被告株式会社桜井土建に対し前記5、6の不法行為に基づき、被告藤沢市獺郷土地改良区に対し前記7(二)の債務不履行に基づき、各自、前記8(一)ないし(三)の損害金合計二八一〇万円及び弁護士費用を除くその余の損害金二五五〇万円に対する昭和五七年七月一五日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告藤沢市の認否

1  請求原因1の事実は認める。但し、本件建物の新築時期は知らない。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二) 同2(二)のうち、本件排水路改修工事が、獺郷地区土地改良総合整備事業(昭和五四年度団体営土地改良事業)の一環として、上流から下流に向けて順次行われた事実は認めるが、右工事が行われた時期の主張は争う。本件土地改良事業は補助金の交付を受ける事業であるから、前年度着工ということはありえない。

本件排水路改修工事の目的は、水路を深く掘り下げることではなく、生活排水、雨水排水で本件水路が浸食されるのを阻止するため、土水路をコンクリート構造物に改修することにあった。本件排水路改修工事の施工は、本件水路を三区間に分け、神奈川県、被告藤沢市及び被告改良区が分担して行った。本件土地、建物に隣接する部分は、被告藤沢市が施工した。

3(一)  同3(一)のうち、本件建物が本件排水路改修工事の着工前に比し、昭和五五年三月一五日頃には、西側で約一〇センチメートル沈下し、台所及び洗面所の壁に亀裂が発生し、風呂場の床が二か所にわたって浮き上がり、西側の一部の雨戸やガラス戸の開閉が多少困難になった事実は認めるが、その余は否認する。

(二) 同3(二)のうち、本件土地の周囲の地盤が軟弱な腐蝕土層であることは認める。本件土地が地盤沈下した原因とメカニズムは明らかでない。

(三) 同3(三)は争う。本件客土工事が行われた時期は昭和五五年四月以降のことである。本件土地改良事業は補助金の交付を受ける事業であるから、前年度着工ということはありえない。

4  同4は争う。

5(一)  同5(一)の事実は認める。しかし、本件排水路を設計し、その系統模式図、排水量、流域面積、受益面積、排水能力、延長、構造、形状寸法、数量、並びに、工事費の明細及び単価を定めた図表を作成したものは、被告改良区である。被告藤沢市はこの設計に従い、工事の実施を分担したにすぎない。

(二) 同5(二)ないし(四)は争う。

本件建物は、水田を埋立てた軟弱地盤の上に建築されており、本件排水路改修工事の着工前に、既に、西側で約四センチメートル自然沈下し、建物内部の壁面にクラックが生じ、風呂場のタイルの目地がはがれるという状態であった。本件排水路改修工事は上流から順次掘り進められたため、本件土地付近について特別に地質調査するまでもなく、地盤が軟弱な腐蝕土層であると判明していた。

被告藤沢市の担当職員は、本件建物付近の排水路の両側の延長一八メートルの区間について、特別に長さ五・〇メートルの鋼矢板を打ち込み、本件建物側に打ち込んだ鋼矢板はそのまま埋め殺すように請負業者に指示し、ヒービング(下部地盤の回り込み)の発生は防止した。被告藤沢市に過失はない。

6  同8(一)ないし(三)は争う。

本件建物の通常の補修方法は、徳田工務店が行った工法である。原告が主張する工事は、元来建築に適さない土地に建物を建てようとする者が、将来必然的に発生する不同沈下を防止するために為しておかなければならなかった工事にずぎない。この工事は本件排水路改修工事の影響によって必要になった工事ではなく、その工事費用は本件の損害ではない。原告は新築同然の費用を必要とする旨を主張しているけれども、右主張には何の根拠もない。

原告の主張する精神的、肉体的苦痛は、原告自身の選択の結果にすぎない。仮に本件建物の補修が不完全だったとしても、居住できないという程のものではなく、引き渡しの提供を受けた後の損害の主張は因果関係がなく、失当である。

7  同10は争う。

三  請求原因に対する被告株式会社桜井土建の認否

1  請求原因1の事実は知らない。同2(一)の事実は知らない。同2(二)の事実は認めるが、右工事が行われた時期の主張は争う。同3(一)の事実は知らない。同3(二)の事実は認める。同3(三)は争う。同4は争う。

2  同6(一)の事実は認める。

同6(二)及び(三)は争う。被告桜井土建は、被告改良区の設計に基づき、本件排水路改修工事の工程・工法・仕様について、被告藤沢市の指示に従って施工した。仮に、本件排水路改修工事の設計・工程・工法・仕様に過失があるとすれば、その責任は、被告改良区と被告藤沢市が負うべきである。本件排水路改修工事の施工法自体について、被告桜井土建に過失はない。なお、同6(三)の主張は、時期に遅れた主張であり、却下を求める。

3  同8(一)ないし(三)、同10は争う。

四  請求原因に対する被告藤沢市獺郷土地改良区の認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)及び(二)の事実は認めるが、右工事が行われた時期の主張は争う。本件排水路改修工事は、従前の排水路の路床を更に四〇センチメートル掘下げるものである。

3(一)  同(一)のうち、昭和五五年三月一五日頃には、本件建物の西側で本件排水路改修工事の着工前に比べて約一〇センチメートル沈下し、台所及び洗面所の壁に亀裂が発生し、風呂場の床が二か所にわたって浮き上がり、本件建物の西側の一部の雨戸やガラス戸の開閉が多少困難になった事実は認めるが、その余は争う。

(二) 同3(二)の主張は争う。本件土地は本件建物の荷重には充分耐えられる地盤であって、本件排水路改修工事の影響により地盤が軟弱化した事実はなく、地盤に本質的な変化はない。本件建物の沈下は地下の土砂の流失によるものでもない。本件土地の地盤が元々軟弱であったために、本件建物を建築所有してから六年にして西側で四センチメートルの沈下傾斜が生じ、不可避的に更に六センチメートルの沈下を生じたものである。

(三) 同3(三)のうち、獺郷地区土地改良総合整備事業の一環として、本件土地の周囲一帯で旧水田の客土工事が施工された事実は認めるが、建設車両の作業走行に伴う振動が本件建物の壁にひびわれを生じさせた一因を成した旨の主張は争う。仮に、原告主張のような振動が原因であるならば、本件建物の本件排水路側の一か所だけ沈下する筈がない。

4  同4の主張は争う。

5(一)  同7(一)の事実は認める。

(二) 同7(二)の主張は否認する。

被告改良区の代表者理事長太田多一は、昭和五四年一二月一六日、本件建物において、被告藤沢市農政課職員の立会のもとで、原告と協議し、(1)本件排水路改修工事は上流から、神奈川県、被告藤沢市及び被告改良区が分担して行い、本件建物付近は被告藤沢市の施工区間に当たる旨、(2)工事設計は被告改良区の設計による旨、(3)万一本件建物等に被害を生ぜしめたときは被告改良区が責任を負う旨を説明したうえ、事前に本件建物の基礎及び室内の各箇所の写真を撮り、本件排水路改修工事の施工には十分注意を払うものと合意して被害発生に備えた。

本件念書は、本件排水路改修工事によって将来に生じる被害について、被告藤沢市の損害補償債務を、被告改良区が保証する趣旨のものである。本件排水路改修工事による損害の補償に関し、被告改良区が何らかの責めを負うべき事由は、元来存しなかった。しかし、被告改良区の代表者理事長太田多一は、行政指導をした被告藤沢市の要求をいれて、原告に対し、本件土地・建物に不測の被害を与えたときは誠意をもって復旧する旨の念書を差入れ、将来発生するおそれのある被告藤沢市の債務を保証した。右は保証債務であるから、主たる債務者の債務に従属し、被告藤沢市の債務と責任がない以上、被告改良区が別個独立に責任を負うべき理由はない。

また、この念書は、本件土地・建物に被害を与えた場合にその復旧をする旨を一般的に確認したものであって、被告改良区が行うべき復旧工事の具体的な内容までは特定されていなかった。被告改良区の代表者理事長太田多一は、昭和五五年三月一五日、原告から、本件建物の排水路側で一〇センチメートル沈下し、台所及び洗面所の壁にひびが入り、風呂場の床が二か所にわたって浮き上がり、雨戸やガラス戸の開閉が不自由になったという申出を受け、その後、再三再四の検討と話合を重ねた末、昭和五六年六月二〇日に原告と合意し、本件念書に基づく約束の履行方法をようやく確定させたものである。

(三) 同7(三)の主張は争う。本件排水路改修工事は、獺郷地区土地改良総合整備事業との整合性を保つために被告改良区の名義で設計が行われ、具体的な改修工事は、神奈川県と被告藤沢市が業者に請負わせて施工させた。被告改良区の名義で設計された範囲は、水路の幅員・深さ・堰堤の構造であって、右設計どおりの構造をもつ水路に改修するための工程・工法・仕様等の設計仕様の具体的内容は、施工者である被告藤沢市の管理に属することである。本件排水路は、元来は農業用水路であって、これを農業用灌漑の用に供する必要から獺郷地区土地改良総合整備事業の対象地域に含められたが、周辺の開発の進行、特に神奈川県道茅ヶ崎丸子線の改良と沿線の宅地化に伴う雨水排水の用に供され、農業基盤整備の目的を越えるところから、本件排水路改修工事は、被告藤沢市の予算措置と設計施工、監理監督の下に行われ、実質的には同市の直轄事業であった。被告改良区は、本件土地・建物付近における本件排水路改修工事については、注文者でもなければ、この部分の工事について影響を与える立場になかったものである。被告改良区の代表者理事長太田多一には、本件建物の不同沈下について効果的な防止方法を講ずべき注意義務はなかった。

(四) 同7(四)の主張は争う。

6  同8(一)ないし(三)の主張は争う。本件土地は、かつて底無しと言われるような湿田で、田植えの際には渡り木を設け、そこを伝って田植え作業をするような状態であって、本田合名会社が埋め立て作業をして宅地造成したあとも地盤が固定せず、本件建物を建築して原告が居住してから六年余の経過で西側が四センチメートルも自然沈下する状況にあった。本件建物の沈下は、本件土地の地盤が本質的に軟弱であるという原因に帰せられるものであって、元来は不可抗力というべきである。本件建物は、本件排水路改修工事によって、西側が更に一〇センチメートルも沈下するに到った。被告改良区は、本件建物の復旧工事の本旨にしたがって、沈下した部分の復旧補強工事を完成し、原告が従前と同じ程度に居住できるようにした。本件建物について、本件排水路改修工事の影響は補修ずみである。本件土地の自然沈下というべき現象は、本件建物の復旧工事の後も引続いて進行している。本件建物は現在再び歪みを生じているようであるが、これは、もともと家屋建築に適さない軟弱地盤に何の地盤対策もとらずに建物を建てたことの結果であって、被告改良区には責任がない。復旧工事の後の本件建物の沈下は、本件排水路改修工事の影響によるものではなく、因果関係がない。

7  同9の事実は認める。

8  同10は争う。

五  抗弁

1  被告藤沢市

(一) 本件土地が地盤沈下した原因とメカニズムは明らかでないが、被告藤沢市の担当職員は、本件排水路改修工事の施工に当たって相当の注意を払い、本件のような軟弱地盤に対する通常の沈下防止の工法を指示して被害発生の防止に努めた。本件建物の地盤沈下は、注文工事自体または工事方法などから容易に予見できるものではなかった。被告藤沢市に過失はない。

仮に、本件建物の損傷が本件排水路改修工事の影響によるものであるとしても、通常の注意義務を尽くしたのでは予見しえない特別の異常が、本件排水路改修工事現場にあったことによるものである。事前調査によって、本件建物の地盤の軟弱性を確認し、本件土地の周囲に止水壁を作り、あるいは、その他の止水工事を行ったとしても、地盤の変形は、時間が遅れるだけで避けられなかった。したがって、被告藤沢市に責任はない。

(二) 本件排水路改修工事は、農業用排水、住民の生活排水及び県道の雨水排水という公共のために使用されている排水路の改良という公共目的事業として行われたものであるから、被告藤沢市が本件排水路改修工事を遂行したこと自体を過失ということもできない。

(三) 本件建物の敷地の不同沈下による被害については、原告と被告改良区の話し合いにより、昭和五六年六月二〇日、バウシ工事、片づけ工事、材木新建材共、タイル工事、左官工事、サッシ建具工事、塗装工事、水道排水工事、電気工事、畳工事、大工工事、釘金物ボンド、雑費、引き屋工事、基礎解体工事、基礎工事一式及び諸雑費の合計五七五万六〇〇〇円相当の内容の改造工事(四四坪)を行って修復することで合意が成立し、右の合意のとおり工事が施工された。右工事の完了後、原告に家屋の鍵が引渡されているのであるから、損害は填補ずみである。

(四) 本件建物は現在再び歪みを生じているようであるが、これは、もともと家屋建築に適さない軟弱地盤に何の地盤対策もとらずに建物を建てたことの結果であって、被告藤沢市には責任がない。

2  被告桜井土建

前記抗弁1(二)(三)のとおりである。したがって、被告桜井土建にも責任がない。

3  被告改良区

(一) 被告改良区の代表者理事長太田多一は、昭和五五年一月二〇日、本件建物において、被告藤沢市農政課職員の立会のもとで、原告に対し、先に要求されていた念書を交付したうえ、本件建物付近の延長一五メートルの施工区間に深さ五メートルの矢板を打込んで本件土地の土留めを行う旨を説明し、原告の了承を得た。

(二) 被告改良区の代表者理事長太田多一は、昭和五六年六月二〇日、原告との間で、(1)本件建物の基礎の底板を補強し、沈下した部分の基礎の嵩上げをおこなう、(2)本件建物の補修部分は、外壁、タイル、サッシ、建具等とする、(3)補修費用は五七〇万円とする、(4)以上の工事を徳田工務店に請負わせる旨を合意し、復旧工事完了までの原告の住居を保障した。右合意は、本件念書に基づく約束の履行方法を確定させたものである。右合意に基づく債務の本旨は、本件建物の沈下した部分を復旧補強し、原告が従前と同じ程度に居住できるように工事することである。

(三) 被告改良区の代表者理事長太田多一は、前記3(二)の合意に基づき、本件建物復旧工事中の住居として一戸建の居宅二棟(床面積各三三平方メートル余)を借上げて原告に提供し、家賃を負担した。

(四) 被告改良区の代表者理事長太田多一は、徳田工務店こと徳田正蔵に請負わせ、昭和五六年七月中旬頃から、前記3(二)の原告との合意にしたがった復旧工事を行わせており、工事の結果、従前の沈下に補正された。本件建物について実際に行われた復旧工事は、従前の基礎部分に特に捨コンまで打って基礎を補強し、建具、壁紙及び床等の材質・色彩等は、被告改良区の代表者理事長太田多一が、前記合意の趣旨に沿った範囲内で最良のものを選択しており、原告が居住するには何らの支障もあり得ようがない。本件建物は、木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建の全体として軽量な建物であるから、基礎も通常の木造建物を支えるに足りるものであれば十分であり、沈下部分の基礎の嵩上を行えば、建物の荷重には十二分に耐えうるようになる。右の工事内容は、本件建物の復旧に十分、かつ、相当な内容であった。被告改良区は、原告との合意の本旨にしたがった仕事を完成し、昭和五六年一〇月二一日、原告に対し、本件建物を引渡すべく、履行の現実の提供を行い、昭和五七年五月一九日、本件建物の鍵を原告に引渡した。被告改良区は、原告との合意に基づく履行を完了した。原告は、いつでも本件建物に移転入居することができる。

(五) したがって、被告改良区は、昭和五四年一二月一六日の合意、本件念書、あるいは、昭和五六年六月二〇日の合意に基づく履行を総て果たしており、原告の被告改良区に対する本件請求は失当である。

六  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)の事実は認めるが、被告藤沢市の過失は否定できない。

2  同1(二)(三)及び同2の各主張は争う。被告藤沢市及び被告桜井土建の過失は否定できない。

3(一)  同3(一)の事実は認める。しかし、右工事直後に本件建物の地盤が一〇センチメートル以上の不同沈下を生じたことは前示のとおりである。矢板を打込んだ山止めは効果を発揮しなかった。

(二) 同3(二)の事実は否認する。原告は、昭和五六年六月二六日、被告ら関係当事者間の打合わせの際に、修復工事の方法を質問し、相手方から、本件建物の屋根と柱のみを残して他は取壊し、基礎工事を完全に行ったうえ原状回復する旨を約束されたので、これを承諾したものである。

(三) 同3(三)の事実は認める。

(四) 同3(四)のうち、昭和五七年五月一九日に本件建物の鍵の引渡を受けた事実は認めるが、その余の主張は争う。実際に行われた本件建物の修復方法は、単なる嵩あげ工事であり、不完全なものであった。仮に、本件建物に施された修復方法自体は妥当なものであったとしても、その結果は不完全なものであった。本件建物は、建具と鴨居・敷居との間隙が残ったまま建物の歪みを是正するに至っておらず、土台と基礎との緊結も不十分であって、安全性について不安が残るほか、壁紙及び襖紙の材質・色彩等も原告の意思を無視して一方的に決められた不適当なものであった。

(五) 同3(五)の主張は争う。被告改良区は、昭和五四年一二月一六日の合意、本件念書、あるいは、昭和五六年六月二〇日の合意に基づく履行を果たしておらず、被告改良区の抗弁は失当である。

七  再抗弁

本件建物に施された修復の不完全な結果は、原告の指図にしたがった補修工事を再度やり直すことによって補正が可能である。

昭和五七年五月一九日本件建物の鍵の引渡を受けるにあたって、原告の訴訟代理人と被告の訴訟代理人は、本件建物の鍵の受領が補修工事の完成に基づく引渡を意味しない旨を合意した。

したがって、原告との合意に基づく履行を完了した旨の被告改良区の主張は失当であり、本件建物の引渡について原告が受領拒絶したことは正当である。

八  再抗弁に対する被告改良区の認否

争う。

九  被告改良区の再々抗弁

原告は、昭和五六年九月頃、被告改良区に対し、途中まで進んだ復旧工事の中止を要求し、前記の合意を翻して本件建物を新築同然に建替えるようにと過大な要求を行い、工事に必要な電源をとれないように送電も止めた。被告改良区の代表者理事長太田多一と徳田工務店こと徳田正蔵には、建具、壁紙及び床等の材質・色彩等について原告の意向を聞くことができない状態であった。そもそも、建具、壁紙及び床等の材質・色彩等は、本件建物自体の引渡を受領拒絶できる程に重大な問題ではない。本件建物の引渡について、原告の受領拒絶には理由がない。

一〇  再々抗弁に対する認否

争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  本件排水路改修工事の概要など

1  請求原因1の事実(原告が本件土地・建物を取得して居住した事実)は、原告と被告藤沢市及び被告改良区との間に争いがない。《証拠省略》及び弁論の全趣旨によれば、原告において訴外本田合名会社から同会社所有の本件土地を買受け、昭和四九年一二月頃、本件建物を本件土地上に新築して家族とともに居住した事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  請求原因2(一)の事実(獺郷地区土地改良総合整備事業の概要)は、原告と被告藤沢市及び被告改良区との間に争いがない。

《証拠省略》、並びに、弁論の全趣旨を総合すると、神奈川県藤沢市獺郷地区内の対象地域約六八六二平方メートルについて、獺郷地区土地改良総合整備事業(昭和五四年度団体営土地改良事業)が、昭和五四年度着手・昭和五六年度完了、事業費一億九三〇〇万円の予定で実施され、昭和五四年六月には国の補助金が交付されたこと、右事業は、農業の生産性が著しく低下していた藤沢市獺郷地区内について、機械力の導入を容易にし、経営規模拡大を図り、農業の近代化によって生産性を向上させ、営業農業の発展を促す目的に基づくものであったこと、右事業の対象地域は、別紙図面(一)表示の斜線部分のとおりであって、昭和五四年六月頃から昭和五五年四月頃までの間に、(1)用水路の整備、(2)排水路の整備、(3)区画整理、(4)道路の整備、(5)暗渠排水、(6)土壌改良、(7)農用地造成などの工事と、農用地及び非農用地の換地が実施されたこと、右事業の施工主体は被告改良区であること、被告改良区は、右事業の施工を目的として予め定款を定め、神奈川県知事の認可を受けた法人であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  請求原因2(二)のうち、本件排水路改修工事が獺郷地区土地改良総合整備事業の一環として行われた事実は、原告と被告藤沢市及び被告改良区との間に争いがない。

《証拠省略》、並びに、弁論の全趣旨を総合すると、本件土地の地盤は、厚く堆積した低地の腐蝕土(繊維質を多量に残した泥炭及び黒泥)及び田土の上に厚さ約一・五メートルの盛土をして宅地化されたものであること、本件土地の周囲の低地一帯は、元来は、同地区内の台地の間に古来存在した小谷が出口を閉鎖されて沼沢化した地形であって、長い年月の間に湿地性植物の遺骸が堆積し、泥炭(ピート)化して形成された極めて軟弱な地盤であり、水田であったこと、前記事業の対象区域内の低位部には、全体として略Y字形に連なった土水路(藤沢市内の総延長一六七八メートル)が存していたこと、これらの土水路は、獺郷地区内一帯の自然排水を集め、藤沢市と神奈川県寒川町との境界部を経て、南方の小出川に通じていたが、排水不良であり、前記事業の実施前は、降雨量が多いときに小出川との合流点近くの下流部が溢水氾濫したこと、前記事業においては、これらの従前の土水路を中型又は大型の鉄筋コンクリート製の構造に改修し、排水路を整備したこと、別紙図面(一)表示のとおり全体として略Y字形に連なった幹線排水路第一号(延長五三三メートル)、同第二号(延長二三〇メートル)、同第三号(延長六六八メートル)及び同第四号(延長三六八メートル)、並びにその下流の藤沢市と神奈川県寒川町との境界部を経て南方の小出川との合流点に至る区間(延長三三三メートル)の幹線排水路が、上流部から下流部に向けて順次改修されたこと、このうち本件土地の西側に近接する排水路は、別紙図面(一)表示の略Y字形の尾の部分にあたる幹線排水路第四号であって、大型(内法の幅二・〇メートル、高さ二・一メートル)のコンクリート製組立柵溝に改修されたこと、幹線排水路第四号(延長三六八メートル)の改修工事は神奈川県と被告藤沢市が分担し、被告藤沢市が右のうち本件土地に近接する一七一メートルの区間を施工したこと、被告改良区が改修工事を施工した部分は最下流部の寒川町との境界部分であったこと、被告藤沢市代表者市長葉山峻は、昭和五四年一〇月一三日、被告株式会社桜井土建代表取締役桜井恵美と工事請負契約を締結し、右の幹線排水路第四号のうち本件土地に近接する藤沢市獺郷一六八二番地先の延長一七一メートルの区間の改修工事について、着工期日を同月一五日、しゅん工期限を昭和五五年三月二二日、請負金額を一五八五万円と定めたこと、被告藤沢市獺郷土地改良区理事長太田多一は、昭和五四年一二月一一日、被告株式会社桜井土建代表取締役桜井恵美と工事請負契約を締結し、寒川町との境界部分である藤沢市獺郷一七〇五番地先の幹線排水路最下流部(延長三三三メートル)の改修工事について、着工期日を同月一五日、しゅん工期限を昭和五五年三月二五日、請負金額を二七三〇万円と定めたこと、被告藤沢市代表者市長葉山峻は、昭和五五年二月一八日、被告株式会社桜井土建代表取締役桜井恵美と工事請負契約変更契約を締結し、右の昭和五四年一〇月一三日付工事請負契約に関し、本件建物の傍らの延長一八メートルの区間について、簡易鋼矢板(五・三トン)の打込及び引抜作業を伴う土留工事を追加し、従前の請負金額に金一六〇万五〇〇〇円を増額したこと、被告桜井土建は、右の被告藤沢市との契約に基づく本件排水路改修工事を、昭和五四年一〇月一五日から着手して昭和五五年三月二二日頃に完成したこと、並びに、被告桜井土建は、右の被告改良区との契約に基づく藤沢市獺郷一七〇五番地先の幹線排水路最下流部(延長三三三メートル)の改修工事を、昭和五四年一二月一五日から着手して昭和五五年三月二五日頃に完成したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  工事の影響

1  請求原因3(一)のうち、昭和五五年三月一五日頃、本件建物の西側が本件排水路改修工事の着工前に比べて約一〇センチメートル沈下し、台所及び洗面所の壁に亀裂が発生し、風呂場の床が二か所にわたって浮き上がり、本件建物の西側の一部の雨戸やガラス戸の開閉が多少困難になった事実は、原告と被告藤沢市及び被告改良区との間に争いがない。

《証拠省略》、並びに、弁論の全趣旨を総合すると、本件建物は、地盤の軟弱性を意識して設計・構築されたものではなく、ねじれや傾斜等の変状が不同沈下に追従して生ずる建物であったこと、本件土地の地表面は元来水平ではなくて傾斜しており、本件排水路側が低く、反対側の道路よりが高くなっていること、本件建物と本件排水路との位置関係が別紙図面(二)及び(三)表示のとおりであって、両者の間隔は、A点で約二メートル、B点で約二・五メートル、C点で五メートル弱、D点で約一五・五メートル、E点で約一五メートルであること、原告は、昭和五四年一二月上旬頃、被告藤沢市に対し、本件建物の西側で本件排水路改修工事が行われた場合に被害の発生が予想されるので協議したい旨を要望したこと、本件建物の基礎の高さの測定、室内各個所の写真撮影等の調査が昭和五四年一二月一六日に行われたこと、右調査の結果、本件建物の基礎は、その北西角部分(別紙図面(三)表示のA点)が他の部分に比して四センチメートル沈下し、また、西側外壁のモルタル部分、和室、食堂及び風呂場の壁などに多数のひび割れが存し、浴槽周りのタイルの目地がはがれるといった変状が確認されたこと、その後、被告藤沢市の経済部農政課及び補修課の職員において協議した末、本件土地西側の延長一八メートルの区間について特別に土留め工事を行い、排水路の両側に長さ約五メートルの鋼矢板を打込む方針が採用されたこと、被告桜井土建は、前記認定のとおり、右の延長一八メートルの区間について土留工事を行ったうえ、排水路改修工事を続行し、被告藤沢市あるいは被告改良区から請負った前記区間の工事は昭和五五年三月二二日ないし二五日頃に完成したこと、本件排水路改修工事について、一地点における一連の作業の所要日数は二、三週間であったこと、本件土地に近接する延長一八メートルの区間における工事手順は、(1)簡易鋼矢板の打込作業、(2)掘削作業及び山留め・支保作業、(3)杭打ち・基礎作業、(4)プレハブ柵渠の設置・組立作業、並びに、(5)埋戻し・鋼矢板の引抜作業であって、打込まれた簡易鋼矢板は長さ五メートル、幅〇・二五メートルのものを使用し、間を空けずに打込まれたこと、杭打ち・基礎作業掘削は油圧式掘削機(バックホー)を使用して行い、掘削断面は深さ約二・五メートル、幅約三メートルであったこと、掘削底面には松材の基礎の上にコンクリート床を打設し、水路の壁面にはコンクリート製の横矢板(幅約〇・三メートル)数枚をはめ込んだこと、矢板の継手や隙間から水が漏れるために、遮水性は期待できないものであること、本件建物の基礎の高さについて、昭和五五年三月一五日に再調査がおこなわれたこと、右の調査結果と昭和五四年一二月一六日の調査結果とを照合したところ、本件排水路側のA点では九・五センチメートル、同南西角二個所(前同B点及びC点)では各四センチメートルの不同沈下が認められたが、南東角(前同D点)では沈下が認められず、同北東角(前同E点)では〇・五センチメートルの沈下が確認されたにすぎなかったこと、また、昭和五四年一二月一六日から昭和五五年三月一五日までの間に、本件建物では、新たに台所及び洗面所の壁にひび割が入り、風呂場のタイルが二個所うき上がり、雨戸及びガラス戸が締まりにくくなったこと、本件土地には本件排水路改修工事の影響で不同沈下が発生しており、本件建物に新たに発生したこれらの変状も、本件排水路改修工事後の不同沈下の影響を受けたものと推定できること、有限会社徳田工務店(代表取締役徳田正蔵)は、被告改良区と請負契約を締結したうえ、同年七月上旬から本件建物の復旧工事に着手し、同年九月中旬頃に終了したこと、本件建物は、右工事の前は東側玄関と西側風呂場との高低差が約一四センチメートルに達していたものの、右工事によって基礎から嵩上げされ、一旦は全体が水平に修正されたこと、しかし、昭和六二年三月一六日頃には、北東角(E点)に比べて南西角(C点)が二・六センチメートル、北西の壁(別紙図面(三)表示のF点)が三・九センチメートル低くなり、風呂場西側の外壁部分は一層下がってしまい、水準器をあててみると洋間の入口よりも脱衣所入口が約三センチメートル低くなったと判明し、本件建物全体が多少ゆがんで西側に若干傾いていると判明したことが認められ、これらの本件建物復旧工事後に新たに発見された変状は、その後の不同沈下の影響であると推定でき、他には右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  本件土地の不同沈下のメカニズムについて、鑑定人久野悟郎は、本件土地が、宅地造成後少なくとも一二年を経過し、この間に盛土に伴う地盤沈下(推定約七五センチメートル)と、周囲の水田から水を落とした階段の地下水位の低下に起因する地盤沈下(推定約一〇センチメートル)とが先行していたところ、本件排水路改修工事のために、一時的にせよ深さ約二・五メートルの掘削底まで地下水位が低下し、近傍の地下水位も相対的に低下して急激な地盤沈下(推定約一五センチメートル)が起きたものと判定し、本件排水路改修工事の前後における不同沈下が、右工事に伴う地下水位の低下に起因するものであると判定したうえ、本件排水路が完成したことにより、本件建物の地盤の内部の地下水位が本件排水路改修工事が行われる以前よりも低下を続けた影響から、本件建物の修復後にも不同沈下が進行したものと推定している。

《証拠省略》、並びに、弁論の全趣旨を総合すると、本件土地・建物については、本件排水路から約二メートルしか離れていないA点で最も沈下が激しく、次いで二・五メートル弱離れたB点、五メートル弱離れたC点の沈下量が大きく、本件建物の東側では殆ど沈下が認められなかったこと、A点付近の本件建物の北西角部分は一階は浴室、二階は押入れとなっていて、建物の他の部分に比して重くなっていること、本件排水路改修工事について、掘削底面のおびただしいヒービング(盤膨れ)の発生、掘削壁面の崩壊、その他、近傍の地盤に大きな乱れを生ずるような変形は発生しなかったこと、本件土地の地盤の地質構成は、地表から順次、盛土(厚さ約一・五メートル)、粘土混じりの腐蝕土(水田の客土、厚さ約一・四メートル)、腐蝕土(泥炭層、厚さ約三・二メートル)、分解の進んだ腐蝕土層(厚さ約二・五メートル)、凝灰質粘性土層(厚さ約二・七メートル)、砂礫層が積み重なっていること、本件土地の地表から約六メートルまでの深さまでの地質は、繊維質を多量に残した腐蝕土(泥炭及び黒泥)が堆積した非常に軟らかい地質であり、荷重、地下水位の低下、その他の地盤への載荷に影響されて不同沈下を起こす性質のものであること、深部の凝灰質粘性土層や砂礫層は沈下に影響のない性質のものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右の認定事実及び前記二1の認定事実を総合すると、本件土地の不同沈下のメカニズムに関する鑑定人久野悟郎の鑑定結果には合理性があり、矛盾や不自然な点は発見されない。本件排水路改修工事の施工以後に、前記の如き不同沈下が発生し、本件建物に変状を生じさせた要因は、本件排水路改修工事の実施に伴って深さ約二・五メートルの溝の掘削が行われ、工事完成後も深さ二・一メートルの排水溝が残るため、相対的に周囲一帯の地下水位が低下したことにあったものと推認でき、本件排水路改修工事を実施する以上は、本件土地について不同沈下の発生は避けられなかったものと推定できる。他には右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  原告は、右工事の建設車両の作業走行に伴う振動も、本件建物の壁にひびわれを生じさせた一因をなしたものである旨を主張し、前掲証拠によれば、被告藤沢市が被告桜井土建に請負わせた本件排水路改修工事のために、ダンプカー等の建設車両が使用された事実が認められるけれども、これらの建設車両の作業走行に伴う振動の程度は不詳であって、右の振動が壁のひび割れの一因をなした旨の原告の主張を認めるに足りる証拠はない。

三  被告藤沢市の責任原因

1(一)  請求原因5(一)の事実(本件排水路改修工事について被告桜井土建と請負契約を締結した注文者は被告藤沢市であった事実)は、原告と同被告との間に争いがない。

本件排水路改修工事を実施する以上、本件土地について不同沈下の発生が避けられなかったことは、前記認定のとおりである。かかる改修工事を請負人に注文して施工させ、その結果、近傍の本件建物に不同沈下の影響に基づく損傷を生じさせ、第三者の生活利益を違法に侵害した者は、被害者に対して不法行為責任を負担しなければならない。

(二)  被告藤沢市は、本件建物の地盤沈下の影響は、注文工事自体または工事方法などから容易に予見できるものではなく、通常の注意義務を尽くしたのでは予見しえない特別の異常が、本件排水路改修工事現場にあったことによる旨を主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠は存しない。本件建物が、水田を埋立てた軟弱地盤の上に建築されていて、本件排水路改修工事の着工前に、既に、西側で約四センチメートル自然沈下し、建物内部の壁面にクラックが生じ、風呂場のタイルの目地がはがれるという状態であった事実、並びに、本件排水路改修工事は上流から順次掘り進められたため、本件土地付近について特別に地質調査するまでもなく、地盤が軟弱な腐蝕土層であると判明していた事実は、いずれも被告藤沢市の自認するところであり、しかも、本件建物は、本件土地の地盤の軟弱性を意識して設計・構築されたものではなかったこと、昭和五四年一二月上旬頃に原告が本件排水路改修工事の影響に基づく被害の発生を予想して被告藤沢市に協議を申入れ、調査の末、本件建物に従来の不同沈下や内外壁のひび割れ等の変状が存すると判明したこと、被告藤沢市の職員において検討の末、被告桜井土建と別途契約して本件土地の側面に簡易鋼矢板の土留工事を特に施したうえ、本件排水路改修工事を続行させたことは、いずれも前記認定のとおりである。これらの事実に照らすと、被告藤沢市の担当職員は、本件土地の地盤の軟弱性を意識し、本件排水路改修工事の影響によって、本件建物に傾斜やねじれ等の何らかの変状を及ぼしかねないと予想していたことが明らかである。被告藤沢市の、本件土地に特別な異常があった旨の主張は失当である。

(三)  前掲証拠によれば、本件排水路改修工事は、農業用排水、住民の生活排水及び県道の雨水排水という公共のために使用されている排水路の改良という公共目的に基づく事業に外ならない。被告藤沢市は、本件排水路改修工事が公共目的事業であることを理由にして、原告に及ぼした損害に対する賠償責任を否定する。しかし、本件排水路改修工事によって現実に生じた危害について、それが被害者において受忍すべき限度を越えない場合に当たらない限りは、なお、被告藤沢市において損害を賠償すべき責任を免れないものというべきである。

(四)  原告は、本件建物が居宅としての効用を喪失し、居住不能になった旨を主張し、本件排水路改修工事の施工後に本件建物の変状が発生したこと、並びに、原告が昭和五六年七月五日から藤沢市打戻字中二五八〇番地に家族とともに移住したことは、前記認定及び後記認定のとおりであるけれども、《証拠省略》によれば、原告が復旧工事に備えて移住するまで現に本件建物に居住して通常に生活しており、本件建物自体は住居としての機能を失うに至っていなかったものと窺われ、原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

しかし、本件排水路改修工事を実施する以上、本件土地について不同沈下の発生は避けられなかったこと、本件建物には、本件排水路改修工事の施工後、各種の変状が急激に拡大したこと、本件建物の一部の沈下は、右改修工事の終了時には、着工前に比べて九・五センチメートル沈下し、右改修工事の一年後には、東側玄関と西側風呂場との高低差が約一四センチメートルに達していたこと、建物の内外の壁に亀裂が発生し、西側の一部の雨戸やガラス戸が締まりにくくなったこと、並びに、右の如き変状を生じさせた要因は、本件排水路改修工事のために深さ約二・五メートルの溝が掘削され、工事完成後も深さ二・一メートルの排水溝が残り、周囲一帯の地下水位が相対的に低下したためと推認できることは前記認定のとおりであって、これらの事実に照らすと、本件建物に対する前記の損害の程度は、原告において受忍すべき限度を越えない場合に当たると認めることはできない。被告藤沢市は、原告の後記損害を賠償すべき責任を免れない。

2(一)  被告藤沢市は、本件建物の不同沈下による被害については、前記の原告も了承した方法の復旧工事が完了し、鍵も引渡されたから、損害は填補ずみであり、その後に生じた本件建物の歪みは、もともと家屋建築に適さない軟弱地盤に何の対策をとらずに建物を建てた結果であって、被告藤沢市の行為とは無関係である旨を主張し、《証拠省略》によれば、有限会社徳田工務店(代表取締役徳田正蔵)が、被告改良区と請負契約を締結したうえ、昭和五六年七月上旬から本件建物の復旧工事に着手し、同年九月中旬頃に終了し、代金五七〇万円の支払を受けたこと、右復旧工事の結果、一旦は本件建物全体が水平に補正され、その後の不同沈下の影響を軽減させるといった効用を残していること、また、原告は復旧工事終了後も本件建物への移住を拒んでいるが、ほぼ従前どおりの居住性が回復され、居住するについて現実の支障は解消されていること、右復旧工事の内容は、本件建物を持ち上げ、基礎の底面を補強して沈下した基礎部分を嵩上したうえ、外壁、タイル、サッシ、建具等を補修する方法(見積合計金額五七五万六〇〇〇円、以下では「徳田工法」という)であったことが認められる。

しかし、《証拠省略》、並びに、前記二1の認定事実を総合すると、不同沈下した木造の本件建物を原状に回復し、水平度を修正するには、一階の床板を剥がし、外壁及び内壁の裾と布基礎の数か所を壊して建物の基礎枠組みの下に鋼材を通し(かんざし工法)、ジャッキで建物を持ち上げてから、更に、基礎土台を改造し、微調整して建物全体を水平に補正したうえ、外壁、内壁などの破損部分を取り替え、床を張りなおす工事が必要であったこと、この場合の基礎土台の改造には、「建物の布基礎の周囲に、鋼管杭を泥炭層の下の支持層に届くまで、グルンドマート貫孔機で打ち込んでから、杭をH型鋼材と連結して恒久的な基礎を築き、本件建物を支持させる方法(以下では、便宜上「久野工法」という)」が適切、かつ、必要な方法であったこと、この久野工法による基礎土台の改造費用が概算四五〇万円であること、右費用には、工事に必要な建物の解体及び復元費用、並びにジャッキアップの費用は含まれていないこと、前記の徳田工法では、基礎土台の改造は「布基礎のコンクリートを打ち継いで水平度を調整してから、必要量のアンカーボルトを埋め込み直し、建物と緊結する方法」を行うにすぎなく、この方法は、応急修理工法としては妥当なものであったが、将来の不同沈下の影響は予め排除できないものであること、徳田工法による基礎土台改造費用が見積もり概算六八万円であったことが認められ、これらの事実に、前記認定のとおり、本件建物復旧工事後の不同沈下を生じさせた要因は、本件排水路改修工事完成後も深さ二・一メートルの排水溝が残るため、相対的に周囲一帯の地下水位が低下したことにあったものと推認でき、本件排水路改修工事を実施する以上は、本件土地について不同沈下の発生は避けられなかったものであることを総合勘案すると、徳田工法による復旧工事の施工をもって原告の損害が填補ずみであると評価することはできず、他には原告の損害は填補ずみである旨の被告藤沢市の主張を認めるに足りる証拠がない。

(二)  前記認定の事実によれば、本件排水路改修工事の影響によって周囲一帯に地下水位の継続的な低下がもたらされなければ、本件建物にさ程に急激な変化は生じなかったと窺われること、本件建物は地盤の軟弱性を意識して設計構築されたものではなく、地盤の動きに追従して捻じれや傾斜などの変化が生ずる建物であること、久野工法を実施すれば、本件建物は地盤の軟弱性の影響から開放され、構造上は従前に比べて格段に改良されること、原告が復旧工事に備えて移住するまで、本件建物自体は住居としての機能を失うに至っていなかったことが明らかであり、これらの事実を総合して斟酌すると、久野工法に基づく復旧工事の元来の費用は、原告自身もその一部を負担すべきものであり、被告藤沢市は不法行為責任に基づいて一部を填補すれば足りるものであったと解するのが相当である。

久野工法に基づく工事費用について、前記の基礎土台改造費用の見積額四五〇万円のほか、原告は、ジャッキアップによる傾斜の補正、一階の床の解体復元作業、建具・壁紙・床板の補修等に関する費用として金一一五〇万円が必要である旨を主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はなく、前記の徳田工法の実際の費用が五七〇万円で済んだこと、並びに徳田工法に基づく見積合計金五七五万六〇〇〇円のうち基礎土台改造費用相当額六八万円以外の部分が五〇七万六〇〇〇円であったことを考慮して推計するほかない。更に、現に実施された徳田工法が応急修理工法として技術的には妥当なものであり、基礎部分の嵩上げによって一旦は全体が水平に補正され、その後の不同沈下の影響を軽減させるといった効用を残していることを勘案すると、被告藤沢市の不法行為について、本件建物の復旧工事に関する填補賠償は、久野工法に基づく復旧工事に元来必要な費用の一部に当たる金一七〇万円が相当である。

(三)  《証拠省略》、並びに前記三2(一)(二)の認定事実を総合すれば、原告は、本件建物に家族と居住していたところ、本件排水路改修工事中から、本件建物が不同沈下の影響を受けてゆがみ、壁がひび割れし、深夜に柱等がきしむ音を聞き付けたため、生活に不安を感じ、更に、本件建物の復旧工事のために余儀なく仮住居へ移住し、少なくとも昭和五六年七月五日から右工事が完了して引き渡しの提供を受けた同年一〇月二一日までの三か月余りの間、生活上の不便を強いられ、このために多大な精神的苦痛を蒙ったことが認められ、他には右認定を覆すに足りる証拠はない。右の原告の精神的苦痛は金五〇万円をもって慰藉されるのが相当である。

なお、原告は、本件排水路改修工事の振動・騒音・塵・ほこりに悩まされたことについても、精神的苦痛に対する賠償を求めているが、本件排水路改修工事は、農業用排水、住民の生活排水及び県道の雨水排水という公共のために使用されている排水路の改良という公共目的に基づく事業に外ならないこと等の前記認定の諸事実に照らすと、本件排水路改修工事に伴う振動・騒音・塵・ほこりの影響は、なお、原告において受忍すべき限度の範囲内であったと認められ、この点に関する原告の主張は失当である。

(四)  《証拠省略》によれば、原告が被告藤沢市に対する本件訴訟の提起及び訴訟追行を原告訴訟代理人に委任したことが認められ、本件事案の内容、審理の経過、認容額などの諸般の事情を考慮すると、弁護士費用として金三〇万円が填補されるのが相当である。

3  したがって、被告藤沢市には、本件排水路改修工事の影響に基づく原告の損害について、原告に対し、前記三2(一)ないし(三)の損害額合計金二五〇万円、並びに同(一)及び(二)の合計二二〇万円に対する不法行為の後である昭和五七年七月一五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき責任がある。なお、右のうち前項(二)の損害項目にかかる部分は、被告改良区の後記損害賠償債務と基礎を同一にし、その限度で連帯して賠償すべきことになる。

四  被告株式会社桜井土建の責任原因

1  請求原因6(一)の事実(被告桜井土建が本件排水路改修工事について被告藤沢市と請負契約を締結した土木工事業者である事実)は、原告と被告桜井土建との間に争いがない。

2  《証拠省略》を総合すると、被告桜井土建は、指名競争入札に基づいて被告藤沢市と締結した請負契約に基づき、本件排水路改修工事の内容及び方法について、その使用機械や資材に至るまで、仕様書、構造図、施工実施図などの各種図面を用いて事細かに規律されていたこと、工事を実施するについても、被告藤沢市の派遣した監督員の指揮監督に従い、材料の検査を受けなければならず、そのうえ種々の報告義務、写真撮影義務などが課され、被告桜井土建自身の裁量の幅は極めて狭い状況にあったこと、本件排水路改修工事について実際に行われた施工方法自体には過誤はなく、掘削壁面の崩壊防止、その他、近傍の地盤に大きな乱れを生ずるような変形を防止する上から適切なものであったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。右事実に照らすと、被告桜井土建は、被告藤沢市との契約に基づき、専らその義務の履行として、本件排水路改修工事の施工を行った者にすぎないから、本件排水路改修工事について実際に行われた施工方法自体に不注意に基づく過誤があり、右の過誤によって損害を及ぼすなどの特段の事情がない限り、本件排水路改修工事の影響に基づく不同沈下のために生じた近傍の本件建物の損傷について、損害を賠償すべき責任を負わないものというべきである。

3  前記認定の一3、二1及び2の各事実、証人久野悟郎の証言、並びに鑑定人久野悟郎の鑑定結果を総合すると、本件排水路改修工事を実施する以上は、本件土地の周囲一帯の地下水位の低下が避けられず、本件土地についても不同沈下の発生が避けられなかったこと、本件排水路改修工事について実際に行われた施工方法自体は、掘削底面のヒービング(盤膨れ)発生の防止、掘削壁面の崩壊防止、その他、近傍の地盤に大きな乱れを生ずるような変形を防止する上からは適切なものであったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  原告は、被告桜井土建には、本件排水路改修工事を行う前に本件建物の敷地の状況及び地盤の条件を調査し、更に、工事に際し、本件建物の下に支持杭を打設して地盤沈下に備えるといった各種の措置を施すべき注意義務があった旨を主張するけれども、右主張を認めるに足りる証拠は存しない。

5  してみると、原告の被告桜井土建に対する本件損害賠償の請求は、その余の点について判断するまでもなく失当となる。

五  被告改良区の責任原因

1(一)  請求原因7(一)の事実(被告改良区が藤沢市獺郷地区土地改良総合整備事業の施工を目的として神奈川県知事の認可を受けて設立された法人である事実)は、原告と被告改良区との間に争いがない。

(二)  《証拠省略》、並びに、弁論の全趣旨によれば、被告改良区は昭和五四年度に新規採択された獺郷地区土地改良総合整備事業の施工を目的とし、太田多一ほか一八人の同年一一月二二日付認可申請に基づいて、昭和五六年六月一一日に神奈川県知事の設立認可を受けた法人であること、太田多一は、昭和五六年六月一五日に開催された被告改良区の理事会における互選によって理事長に就任したこと、太田多一ほか一八人は、右の昭和五四年一一月二日付認可申請に先立ち、土地改良法及び同法施行令等所定のとおり、少なくとも右事業の計画の概要、定款作成の基本となるべき事項、右事業の計画及び定款の作成に当たるべきものの選任方法等を定め、被告藤沢市の市長の意見を聞いて公告し、地域内土地所有者らの三分の二以上の同意を得たうえ、更に、右の事業計画、定款その他必要な予め事項を定めてから、神奈川県知事に対する設立認可申請をしたこと、幹線排水路第四号のうち最下流部の寒川町との境界部分の区間(延長三三三メートル)については、被告改良区が改修工事の施行を分担して注文者となったこと、右区間の排水路改修工事について、昭和五四年一二月一一日に被告桜井土建との請負契約を締結した者は太田多一であり、同人が右契約の締結に際して「藤沢市獺郷土地改良区理事長」の肩書を使用していたことが認められ、これらの事実を総合すると、被告改良区は、遅くとも右の設立認可申請が行われた昭和五四年一一月二日までに、権利能力なき社団としての実体を備えるに至っていたものというべきである。

このように、すでに権利能力なき社団としての実体を備えるに至っていた団体に、県知事の設立認可に基づく法人格が付与され、しかも、その目的事業の遂行ないし準備行為が、法人格付与の前後を通じて同一の利益を追求するものと認められるときは、法人格の付与を受けた右団体は、代表者が右の目的事業の準備ないし遂行として設立予定の法人の名において負担した債務について、法律上当然に履行の責任を負うものと解するのが相当である。

2(一)  《証拠省略》、前記一2、同一3及び同二1の各認定事実、並びに、弁論の全趣旨によれば、昭和五四年一二月上旬頃に原告が本件排水路改修工事の影響に基づく被害の発生を予想して被告藤沢市に協議を申入れたこと、同月一六日、太田多一において、原告に対し、獺郷地区土地改良総合整備事業の概要について説明し、本件排水路改修工事及び客土工事の施工は充分に注意をはらって行う旨、工事の影響で不測の被害を与えたときは、改良区が責任をもって復旧する旨を約束し、原告が右の約束について念書の作成交付を要求したこと、右同日、原告らの立会のもとに、本件建物の現況の調査が行われたこと、原告は、昭和五五年一月二〇日、藤沢市獺郷土地改良区理事長太田多一が作成した念書の交付をうけたこと、右念書には「改良区の排水路改修工事及び客土工事の施工にあたっては、本件居宅及び本件宅地に影響を及ぼさないように細心の注意をもって施行し、もし万一工事の影響があり不測の被害を与えたときは改良区の責任により誠意をもって復旧する」旨が記載されていたこと、本件排水路改修工事は、昭和五四年一〇月一五日頃あるいは同年一二月一五日から始められ、本件建物について、昭和五五年三月一五日に再調査が行われた結果、新たな変状が認められ、原告が、本件建物の復旧と補償を要求したこと、右同日、同年五月一九日、同年六月一七日、昭和五五年一一月一五日、昭和五六年二月二二日及び同年五月六日、いずれも被告藤沢市の職員らの立会のもとに、本件建物の改修方法や、代替地の提供まで含めた被害補償の方法、費用負担、補償期間などについて交渉を繰り返し、同年二月以降は本件建物の補修工事を行う方針を採用して協議したこと、有限会社徳田工務店(代表取締役徳田正蔵)は、同年三月頃、被告改良区から依頼を受け、本件建物の復旧には、本件建物を持ち上げて基礎の底面を補強し、沈下した基礎部分を嵩上する方法で行い、建物の外壁、タイル、サッシ、建具等を補修する必要があると判断し、本件建物の復旧工事の見積もりをしたこと、被告改良区の役員である太田多一、関戸亀市及び加藤重康は、同年六月二〇日、原告に対し、本件建物を原形復旧する旨、右工事は有限会社徳田工務店に補修費用五七〇万円で請負わせ、同年七月上旬から約二か月間を要する旨、右工事期間中の移転先を提供し、引越の荷物の運搬の協力を行う旨、更に、補修費用五七〇万円は、現場立会に基づく業者の見積額であるので完全に補修できる旨を約束したこと、原告は、右の復旧工事は本件建物の屋根と柱を残し、壁などを落として基礎もきちんと補修されるものと理解したうえ、被告改良区に対し、右の復旧工事の実施を承諾したこと、原告は、同年七月五日、被告改良区から提供を受けた藤沢市打戻字中二五八〇番地所在の貸家に、家族とともに移住したこと、ところが、原告は、復旧工事が開始されてから補修方法にクレームをつけ、同年八月二〇日頃に工事状況を写真撮影し、工事の中止を求めたこと、しかし、徳田工務店は、注文主である被告改良区の指示どおりに工事を続行し、同年九月中旬頃に終了したこと、被告改良区の代表者である太田多市は、同年一〇月二一日、藤沢市打戻字中二五八〇番地所在の原告宅において、原告に対し、本件建物の復旧工事が終了した旨を告げたうえ、本件建物の鍵を差し出して受領を催告し、本件建物引渡の提供をしたが、原告はその受領を拒んだことが認められ、他には右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  右認定の本件念書記載の文言、交渉中の協議内容、原告が一旦は了承したものの、復旧工事が開始されてから補修方法にクレームをつけて工事の中止を求めたこと、並びに、《証拠省略》を総合すると、本件排水路改修工事に先立って、被告藤沢市獺郷土地改良区代表者太田多一が約束した合意の内容は、右改修工事の影響によって本件建物に不測の損害を負わせたときは、被告改良区において、原告に対し、少なくとも適切な復旧作業又はこれに替わる損害賠償を行う義務を負担とする趣旨であったと認められる。《証拠判断省略》

3(一)  本件排水路改修工事の影響に基づく変状が本件建物について発生したこと、不同沈下した本件建物を原状に回復するには、かんざし工法で建物を持ち上げてから久野工法で基礎土台を改造し、床や壁の破損部分を修繕することが適切、かつ、必要であったこと、元来の右工事費用は原告自身もその一部を負担するべきであったこと、並びに、実際に行われた徳田工法は応急修理工法としては妥当なものであったが、将来の不同沈下の影響を予め排除できず、右工事後も地下水位の低下が継続し、これに伴う影響が及んだことは、いずれも前記三2(一)に認定のとおりであり、これらの認定事実を総合すると、一旦は原告の了承を得たものの、徳田工法による復旧方法には、まだ不十分な点が残り、右工事の施工をもって、先の合意に基づく被告改良区の補修及び損害賠償の義務の履行が果たされたものと評価することは相当でない。

しかし、前記三2(二)の認定のとおり、徳田工法による復旧工事に被告改良区が金員五七〇万円を費やしたこと、右工事が応急修理工法として技術的には妥当なものであり、基礎部分の嵩上げによって、一旦は全体が水平に補正され、その後の不同沈下の影響を軽減させるといった効用を残していること等を勘案すると、本件建物について、前記合意に基づく補修の完全な履行の追完を求めることは、もはや不相当であり、不能というべきである。

右認定の諸事由、並びに、本件建物が元来から軟弱地盤であったこと、本件建物の建築時には地盤の軟弱性が意識された形跡がないこと等を考量すると、右の不完全履行に基づく被告改良区の填補賠償は、久野方法に基づく工事の元来必要な費用の一部に相当する金一七〇万円が相当である。

(二)  なお、原告は、本件排水路改修工事の振動・騒音・塵・ほこり、本件建物の傾斜に伴う音響と不安、並びに仮住居への転居に伴う不便のために蒙った精神的苦痛に対する賠償を、被告改良区に対しても請求しているが、原告主張のこれらの精神的苦痛と、被告改良区の前記債務の不完全履行との間には相当因果関係を認めるに足りる証拠はなく、この点に関する原告の主張は失当である。

(三)  前記三2(二)の被告藤沢市の不法行為に基づく本件建物の復旧工事に関する填補賠償と、前記五3(一)の被告改良区の不完全履行に基づく損害賠償との間には、相互補完の関係がある。

本件事案の内容及び難易度、審理の経過、並びに認容額などの諸般の事情を斟酌すると、本件において填補されるべき弁護士費用は合計金三〇万円が相当であり、被告改良区には右の内金二〇万円の填補を命じるのが相当である。

4  請求原因9(催告)の事実は、原告と被告改良区との間に争いがない。したがって、被告改良区には、前記の不完全履行に基づき、原告に対し、前項(一)及び(二)の損害額合計金一九〇万円及び内金一七〇万円に対する請求の翌日である昭和五七年七月一五日から完済まで右同割合による遅延損害金の支払義務がある。右は被告藤沢市前記三2(二)の損害項目にかかる部分と基礎を同一にし、その限度で被告藤沢市と連帯して賠償すべきことになる。

六  結論

よって、原告の被告らに対する請求は、その余の点について検討するまでもなく、被告藤沢市に対し、本件排水路改修工事の影響に基づく前記三2(一)ないし(三)の損害額合計金二五〇万円及び内金二二〇万円に対する不法行為の後である昭和五七年七月一五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、被告改良区に対し、前記の不完全履行に基づく前記五3(一)及び(二)の損害額合計金一九〇万円及び内金一七〇万円に対する請求後の前同日から完済まで右同割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項を、仮執行宣言につき同法一九六条一項、三項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 榮春彦 裁判長裁判官髙橋久雄は退官につき、裁判官田中寿生は転勤につき、いずれも署名押印できない。裁判官 榮春彦)

<以下省略>

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